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保守反動が論壇を席巻する中左翼は肩身が狭い▼しかし左翼でいることは恥ではない▼保守思想など左翼思想のアンチテーゼに過ぎないのである▼骨太の左翼思想ここにあり
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小学生の段階から英語の授業を導入しようという動きが顕著である。賛成派は国際化をキーワードとする。これに対して反対派はむしろ国語教育の充実をいう。政府は「言葉の力」などというどっちつかずのことを言っているが賛成派に違いない。文科省の役人の権益が拡大するからだ。それにしても「ゆとり教育」もそうだが文科省の役人は本来の仕事をせずに思いこみにより制度をいじることに熱中しすぎる。話が逸れた。小学生に英語の授業が必要かどうか。極左の立場からはどう考えるべきか。

簡単である。左翼は論理的思考を重んじる。論理的思考の基礎は国語力であることは明らかである。人間のみが思考するがそれは言葉を使うからである。そして論理的思考をより磨くためには数学や理科の訓練が欠かせない。そうであれば左翼の立場からはまず論理的思考力の源泉である国語力の向上が求められる。ついで数学などの訓練が必要となる。英語の授業の導入で国語の時間が削られるようなら国語に絞るほうが理に適う。

また国民全体の論理的思考力の低下は権力側が人民を支配することに利する。すなわち論理的思考力を減衰させられた人民は権力に対する論理的批判力を失うのである。そうであれば英語の導入は権力側による衆愚政策ということができ左翼はこれに断固抵抗しなければならない。

さらに国際化というが英語イクオール国際化ではない。確かに左翼は世界政府の樹立を目的とするがそこで英語がしゃべられねばならない必然性はない。英語を国語とする人民を利する必要はないのである。また実際上も将来正確な翻訳機の出現によりコミュニケーションの問題は解決するはずである。

もっとも英語の「発音」に関しては小さい頃から親しむことは意味がある。これは大人になってから習得することが極めて難しいからである。国語力の涵養を妨げない範囲で英語の発音に親しむことには賛成する。

以上の考察より小学生に英語の授業は必要ないが音楽の時間等を利用して発音に親しむことには賛成である。
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気になっちゃった♪
ブログ読ませてもらいました♪
にゃにゃ URL 2006/06/06(Tue)14:15:26 編集
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