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保守反動が論壇を席巻する中左翼は肩身が狭い▼しかし左翼でいることは恥ではない▼保守思想など左翼思想のアンチテーゼに過ぎないのである▼骨太の左翼思想ここにあり
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左翼は神仏の実在を否定し宗教を否定する。合理的にその実在が証明できないからである。人間が未だ認識を拡大する以前は一見不合理と考えられることは神の業として説明されることが多かった。人間にとっての不合理の局地は死でありそれを説明するのに腐心した。しかし死は最早不合理なものではない。現代の合理的認識は人間がタンパク質の機械であることそして耐用年数があることを教える。確かに生命現象は未だ完全に解明されたわけではない。しかし解明されていないことをもって神秘主義に走るのは理性的態度とは言えない。生命現象もいずれ物質の問題としてそれ自体は解消される性質のものと考えるのが理性的判断というものである。

このように生命現象が精神活動を含めていずれ合理的に説明がつくとしても人間はそれだけの存在ではない。自己認識ないし自我という問題が残るのである。考えてみれば自己認識をする故にいずれ自分が死に滅びる存在だということを死ぬ以前から認識できるところに人間の特性がある。そして死をおそれる故に宗教というものが発生したのである。このことは例えば聖書の楽園追放の物語を読むだけでも十分理解できる。悪魔に唆され知恵の実を食べたアダムとイブは目が開き自我に目覚めその結果楽園を追放され死ぬことを宿命づけられる。すなわち自分が死ぬ存在だということを認識してしまったのである。それを原罪という。原罪を贖うことすなわち死を克服することがキリスト教の目的でありその点で諸宗教も変わりはない。

キリスト教は昔アニミズムを無知蒙昧と断罪し滅ぼした。しかし我々の合理的手法に基づく認識の拡大はキリスト教的な人格(神格)をもつ神を原点に据える一神教を否定する方向を示す。聖書は人類を特別な存在として描くが現在の宇宙物理学が示す宇宙の広がりなどの認識は聖書の示す宇宙観・世界観を色あせさせるに十分なものである。聖書的アイデアに比べればまだしも仏教的ヒンズー的宇宙観・世界観の方がまだしも真実に近いようにわたしには思われる。もっとも輪廻などというものは魂の存在を前提とするが魂の存在そのものは科学的にはほとんど確かめようがない。仮に魂があるなら人間より下等な生物のどこまでが魂を持つのかが問われる。DNAがタンパク質の体を作り出しそれが生命活動をするのだからDNAを持つ生物は全て魂を持つのか。大腸菌もDNAを持つがでは大腸菌も魂を持つのか。結局「自我」が魂の存在を信じたがる人間心理の源泉と考えるのが理性的判断だろう。

そうであれば「自我」すなわち自己認識以前の赤子を場合によっては見捨てることもやむを得ないとの結論が導き出される。例えば最近大石英二氏がそういうことをブログで書いているのを読んだ(「今、そこにある偽善」参照)。前々から思ってはいたが大石英二氏は極左である。彼が元帥と呼ぶ田岡俊二氏もまた数少ない極左の著名人である。
(続く)
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